休日を利用して、転勤による通勤経路の下見に実際の通勤予定地まで、グーグルマップで事前にルート検索した情報をカーナビを設定し、出勤時間の道路状況を確認すべく新しい勤務地まで行ってみたのですが、自転車の存在が怖いと感じました。

道交法が改正されてかなり、自転車に対する不満の声が聞こえますよね。

普段は人口の少ない福津市に住んでいるので、福岡市の状況を把握出来ていませんでした。
最近のyoutubeを見ていても、自転車の車道を走るケースが増えて、危険を投稿する動画が散見されるようになりましたが、福岡でも郊外の人口が少ない地域に住んでいる私にとっては、実感のない感覚でした。
しかし、週末に少し大きな幹線道路や都市部へ車を走らせた際、その「実感」は突如として現実の恐怖に変わりました。
目の前の車道の左端を、何台もの自転車が連なって走っている光景に遭遇したのです。中には本格的なロードバイクでかなりの速度を出している人もいれば、スマートフォンを見ながらふらふらと走るシティサイクル、さらにはヘルメットを被らずに並走している学生たちもいました。
その脇を通り抜ける瞬間、心臓がハッと縮むような強い恐怖感を覚えずにはいられませんでした。

ドライバーの視点から言えば、車道の脇を走る自転車ほど予測不能で神経を使う存在はありません。道路の舗装が少し荒れているだけで、自転車はそれを避けるために急に右側(車道中央側)へ膨らんできます。
また、後方を確認せずに突然進路変更をしたり、交差点で合図もなしに右折を始めたりすることも珍しくありません。
こちらは制限速度を守り、十分に車間距離を取って慎重に運転しているつもりでも、自転車側の突発的な動き一つで、一瞬にして大事故に発展してしまうリスクを常に孕んでいます。
そして、この恐怖をさらに増大させているのが、「もし事故が起きたら、どんなに自転車側に過失があろうとも、結果的に車側が悪いに違いないと思われるのではないか」という強い不条理感と不安です。
日本の交通社会における法律や過去の判例の多くは、依然として「弱者救済」の原則が根強く働きます。
車と自転車の事故であれば、どれだけ自転車側が信号を無視しようが、逆走(右側通行)をしていようが、一時停止を怠ろうが、基本的には「交通弱者」である自転車が守られ、車側が重い過失や責任を問われるケースが後を絶ちません。
事故の瞬間の凄惨な映像や、怪我を負った自転車側の姿だけが切り取られれば、世間や警察の目は「車がもっと注意すべきだった」「車が凶器になった」という方向へ向きがちです。
仮に裁判や過失割合の決定でこちら(車側)の主張が認められる可能性があるとしても、それを客観的に証明する手段がなければ、すべては「言った、言わない」の泥沼の議論になってしまいます。
人間は嘘をつく生き物ですし、事故のショックで記憶が曖昧になったり、自分に都合の良いように事実を書き換えたりすることもあります。
目撃者が都合よくその場にいてくれる保証もありません。もし自分が加害者として扱われ、多額の賠償請求をされたり、社会的信用を失ったりしたら……そう考えると、自転車の横を通り過ぎるだけで冷や汗が出るのです。
この圧倒的な恐怖と理不尽さから自分自身の身と生活を守るために、今や絶対に欠かせないと感じるのが「ドライブレコーダー(ドラレコ)」の存在です。
ドライブレコーダーは、まさに「嘘をつかない最強の目撃者」です。どれだけ相手が「車が突っ込んできた」と主張しようとも、ドラレコが捉えた映像に、自転車側の急な飛び出しや信号無視、スマートフォン操作などの危険運転が鮮明に記録されていれば、それが揺るぎない客観的証拠となります。
警察の捜査段階でも、保険会社との過失割合の交渉でも、映像があるかないかでその後の人生が180度変わると言っても過言ではありません。
また、ドラレコは単に事故が起きた後の「事後処理の道具」に留まりません。
フロントガラスに設置されたカメラは、周囲に対して「こちらの運転はすべて記録されていますよ」という強い牽制(けんせい)になります。
これによって、無謀な運転をする自転車や歩行者、あるいは悪質な煽り運転をする他の車に対して、一定の抑止力として機能してくれるという安心感もあります。
郊外でのんびりと暮らしている私にとって、都市部や自転車の多い道路の運転はそれだけで大きなストレスです。
しかし、現代の交通環境において、自転車の車道走行は避けて通れない現実となっています。
だからこそ、自分の運転に非がないことを証明し、理不尽な社会的・経済的破滅から身を守るための防衛策として、ドライブレコーダーの導入は「念のための備え」ではなく、車を運転する上での「絶対の義務」であると、強く実感しています。



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